最高裁判所第一小法廷 平成11年(オ)1453号 判決 2000年1月27日
上告人
日新信用金庫
右代表者代表理事
赤志孝裕
右補助参加人
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
野口善國
福田和美
被上告人
乙山春子
右法定代理人親権者
乙山夏子
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告補助参加代理人野口善國、同福田和美の上告理由について
非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分の二分の一と定めた民法九〇〇条四号ただし書前段の規定が憲法一四条一項に違反するものでないことは、当裁判所の判例(最高裁平成三年(ク)第一四三号同七年七月五日大法廷決定・民集四九巻七号一七八九頁)とするところであり、本件について民法九〇〇条四号ただし書前段の規定を適用した原判決が憲法一四条一項に違反するものでないことは、右判例に照らして明らかである。したがって、右の違憲をいう論旨は理由がない。その余の論旨は、違憲及び理由不備をいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって、明らかに民訴法三一二条一項、二項に規定する事由に該当しない。
よって、裁判官藤井正雄の補足意見、裁判官遠藤光男の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官藤井正雄の補足意見は、次のとおりである。
私は、民法九〇〇条四号ただし書前段の規定(以下「本件規定」という。)が憲法一四条一項に違反しないとする点につき、法廷意見に同調するものであるが、反対意見にかんがみ、私の意見を補足しておきたい。
一 昭和二二年に現行民法が制定された当時及びその後相当の期間にわたって、本件規定については、大多数の見解がその合憲性を承認してきたといってよい。しかし、近年における社会情勢の変動、家庭環境、婚姻傾向、結婚観等の変化はめざましく、これに伴って本件規定の合理性に疑いを向ける意見が徐々に顕著となってきた。こうした国民の意識の変化は、諸外国における立法のすう勢、我が国における市民的及び政治的権利に関する国際条約や児童の権利に関する条約の批准といった内外の動向も寄与しているものと思われる。このような法律制定後の事情の変化が、法律の憲法適否の判断に影響を及ぼすことがあり得ることは、否定し得ないところである。
しかし、本件規定が制定後の事情の変化により現在では憲法上容認し得ないと評価されるとしても、そのような評価に至った時点、すなわち合憲から違憲へと飛躍的な移行を裏付ける劇的な社会変動をどこに捕らえるかは、甚だ困難である。
法律制定後の社会事象の変動、国民の意識の変化に対処するには、国会の立法作用により、制度全般の中で関係規定との整合性に留意しつつ、明確な適用基準時を定めて法改正を行うことが最も望ましく、むしろそれによってこそ適用範囲に疑義を容れない適切な処理が可能となるものと考える(前記大法廷決定における千種・河合両裁判官の補足意見参照)。本件規定は、相続法の中の一規定で、国民に広く関わりを持ち、極めて幅広い影響を及ぼすものであるだけに、混乱を避け、法的安定を損なわない配慮が是非とも必要である。
二 遠藤裁判官の引用される前記大法廷決定の同裁判官ほか四名の反対意見は、違憲判断の不遡及的効力に言及される。これは、最高裁判所の違憲判断が一般的効力ないしは実質的にこれに近い事実上の効力を有することを前提としつつ、既存の裁判・協議に影響を及ぼし混乱を招くのを回避するための理論として提示されたものと思われる。
裁判所による法の解釈は立法者によって与えられた法の内容を発見することにあるとするならば、最高裁判所の違憲判断は、その法が以前から違憲無効であったことを宣明するものであって、遡及的効果を持つとする考えに親しみやすいであろう。これに対し、裁判所の法解釈には法の制定に類する創造的機能もあることを承認するならば、最高裁判所は、違憲判決において、その効果を遡及させるか否かを自ら決定することもできるといえることになるであろう。しかし、後者の考え方においても、その不遡及的違憲判断は当該事件には例外的に適用されるのか、それとも当該事件には適用されず将来の同種事件についてのみ活かされる傍論的説示にとどまるのかも問題であり、いまだ十分に議論が熟しているとはいえない。
法の解釈に創造的機能があることは否定できないが、それは主として法の欠缺する分野においてである。明文の規定の存するところに法創造的契機を持ち込むことは、更に慎重な検討を必要とするものと思う。
三 以上の次第で、私は、本件規定につき、現時点において違憲判断をすることが相当であるとはいえず、立法府による改正を持たなければならないと考えるものである。
裁判官遠藤光男の反対意見は、次のとおりである。
私は、民法九〇〇条四号ただし書前段の規定は憲法一四条一項に違反して無効であり、原判決を破棄すべきものであると考える。その理由は、前記大法廷決定における私の反対意見の中で述べたとおりである。
(裁判長裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄 裁判官大出峻郎)
上告補助参加代理人野口善國、同福田和美の上告理由
第一 事案の概要<省略>
第二 著しい理由不備<省略>
第三 憲法違反
一 <省略>
二 非嫡出子の相続分に関する民法の規定は法の下の平等に反する
1 非嫡出子という社会的身分
憲法一四条一項は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」と定めている。
しかし、民法九〇〇条四号但書は、非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分の半分と定め、経済的に不利益な取扱をしている。
憲法一四条一項がいう「社会的身分」とは、「出生によって決定される社会的な地位又は身分」と解釈されるから、嫡出子と非嫡出子の区分は明らかに社会的身分に該当する。
従って、同条項は、非嫡出子を、その社会的身分により差別するものである。
2 差別の合理性
通説ないし判例は、事由を問わず合理的な差別であるならば、憲法一四条一項違反にならないとする。そこで、右にいう合理的な差別とは何を指すかが問題とされるのである。
最高裁は、従来、ある差別が合理的であるか否かについての一般的な基準を示さないまま、個別的な判断を行ってきた。しかし、合理性という言葉自体が抽象的で明確ではないため、憲法の狙いに反する差別が安易に「合理性」という名のもとで容認されてしまう危険性がある。
憲法一四条一項後段に列挙された、人種、信条、性別、社会的身分、門地についての差別は、原則として、不合理なものであり、したがって、それらを理由とする差別は、原則として、法の下の平等に反する(宮沢俊義・芦部信喜補訂「全訂日本国憲法」二一二項)。右列挙理由による差別は、民主制のもとで通常は許されないものと考えられるから、その差別は合理的根拠を欠くものと推定される。したがって、それが合憲であるためには、いっそう厳しい判断基準に合致しなければならない(伊藤正己「憲法」(新版)二四八頁)。
3 最高裁平成七年七月五日決定
(一) 平成七年七月五日最高裁決定の多数意見は、非嫡出子の相続分の区別には合理性があり、憲法違反ではないと判断したが、その理由の骨子は、
「民法は、社会情勢の変化等に応じて改正され、また、被相続人の財産の承継につき多角的に定めを置いているのであって、本件規定を含む民法九〇〇条の法定相続分の定めはその一つにすぎず、法定相続分のとおりに相続が行われなければならない旨を定めたものではない。すなわち、被相続人は、法定相続分の定めにかかわらず、遺言で共同相続人の相続分を定めることができる。」
「共同相続人は、それぞれの相続人の事情を考慮した上、その協議により、特定の相続人に対して法定相続分以上の相続財産を取得させることも可能である。」
「法定相続分の定めは、遺言による相続分の指定等がない場合などにおいて、補充的に機能する規定である。」
「相続制度を定めるに当たっては、それぞれの国の伝統、社会事情、国民感情なども考慮されなければならず」
「相続制度をどのように定めるかは、立法府の合理的な裁量判断に委ねられている」
「民法が法律婚主義を採用した結果として、婚姻関係から出生した嫡出子と婚姻外の関係から出生した非嫡出子との区別が生じ、親子関係の成立などにつき異なった規律がされ、また、内縁の配偶者には他方の配偶者の相続が認められないなどの差異が生じても、それはやむを得ないところといわなければならない。
本件規定の立法理由は、法律上の配偶者との間に出生した嫡出子の立場を尊重するとともに、他方、被相続人の子である非嫡出子の立場にも配慮して、非嫡出子に嫡出子の二分の一の法定相続分を認めることにより、非嫡出子を保護しようとしたものであり、法律婚の尊重と非嫡出子の保護の調整を図ったものと解される。」
(二) 少数意見
しかし、これに対して、少数意見は民法九〇〇条四号但書前段の定めを憲法一四条一項に反し無効とし、その理由として、
「精神的自由に直接かかわる事項ではないが、本件規定で問題となる差別の合理性の判断は、基本的には、非嫡出子が婚姻家族に属するか否かという属性を重視すべきか、あるいは被相続人の子供として平等であるという個人としての立場を重視すべきかにかかっているといえる。したがって、その判断は、財産的利益に関する事案におけるような単なる合理性の存否によってなされるべきではなく、立法目的自体の合理性及びその手段との実質的関連性についてより強い合理性の存否が検討されるべきである。しかしながら、本件においては以下に述べるとおり、単なる合理性についてすら、その存在を肯認することはできない。」
「婚姻を尊重するという立法目的については何ら異議はないが、その立法目的からみて嫡出子と非嫡出子とが法定相続分において区別されるのを合理的とすることは、非嫡出子が婚姻家族に属していないという属性を重視し、そこに区別の根拠を求めるものであって、……憲法二四条二項が相続において個人の尊厳を立法上の原則とすることを規定する趣旨に相容れない。すなわち、出生について責任を有するのは被相続人であって、非嫡出子には何の責任もなく、その身分は自らの意思や努力によって変えることはできない。出生について何の責任も負わない非嫡出子をそのことを理由に法律上差別することは、婚姻の尊重・保護という立法目的の枠を超えるものであり、立法目的と手段の実質的関連性は認められず合理的であるということはできないのである。」
「同じ被相続人の子供でありながら、非嫡出子の法定相続分を嫡出子の二分の一と定めていることは、非嫡出子を嫡出子に比べて劣るものとする観念が社会的に受容される余地をつくる重要な一原因となっていると認められるのである。本規定の立法目的が非嫡出子を保護するものであるというのは、立法当時の社会の状況ならばあるいは格別、少なくとも今日の社会の状況には適合せず、その合理性を欠くといわざるを得ない。」
等としており、極めて至当である。
4 民法九〇〇条四号但書の立法目的の正当性
平成七年七月五日最高裁決定は、「法律上の配偶者との間に出生した嫡出子の立場を尊重する」とするが、そもそも、非嫡出子自身には何ら責められるべき点はないのに、親の事情から、同じ相続人の子でありながら、非嫡出子より嫡出子を有利に扱う、即ち非嫡出子を差別することが立法目的として正当であるか、極めて疑問である。
仮に、それをさておいて、「法律婚」の尊重という目的のみを考えても、明治初期のごとく、法律婚があまり市民に意識されず、いわゆる妾関係が多く見られた状況において、家制度を中核とした親族、相続法制を市民に徹底させようとした時代ならいざ知らず、個人の尊重を基本とし、家制度を排する現行憲法が制定され、その二四条において「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本とし」「相続……及び家族に関するその他の事項に関しては法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」とされている時代には、「法律婚」の尊重という立法目的の正当性も根拠を失っている。
従って、現行憲法制定当時、民法の親族、相続法の改正が成立した際、衆議院において「本法は可及的速やかに将来において更に改正する必要がある」旨の附帯決議がなされたが、その後、本件の規定については改正されることなく五〇年以上が経過してしまった。また、東京高裁平成五年六月二三日決定の抗告理由書によって正しく指摘されているとおり「婚姻だけが女性の幸福に結びつくものではないという考え方が浸透し」、もはや男性の側においても、両性の結びつきは法律的婚姻だけではないという考え方が広まりつつある。ことさらに「法律婚」を尊重する意味は、もはや失われている。
5 手段の必要性、有効性
仮に、「法律婚」の尊重という目的自体が認められるとしても、非嫡出子の相続分差別の手段は、法律婚の尊重、即ち内縁関係等の婚外関係の抑制に全く役に立たない。そのような関係を選択するのは子どもではなく、親たちである。親たち自身を差別するのではなく、その子どもを差別するからといって、その親たちが婚外関係をあきらめるはずもない。
現に、左の表(深谷松男著現代家族法第三版一〇二頁より転載)<省略>のように、昭和六〇年頃以降、次第に非嫡出子の出生の割合は、かえって増加しつつある。
6 手段の社会的許容性
非嫡出子たる身分は、生来的なもので、子ども本人の努力ではいかんともしがたい事柄である。ヨーロッパや旧、現社会主義諸国では、立法上、非嫡出子の相続権は嫡出子と平等となっており、アメリカ合衆国でも連邦裁判所は非嫡出子の不利益扱いを不正とし、立法上は相続前に父子関係が成立していることを前提として、平等とするとされている。
国際条約上も、一九四八年の世界人権宣言は、嫡出子の社会的保護の平等を宣言している。
また、国連国際人権規約B規約二四条一項においても「すべての児童は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、国民的もしくは社会的出身、財産又は出生によっていかなる差別もなしに、未成年者としての地位に必要とされる保護の措置であって家族、社会及び国による措置についての権利を有する」と規定されている。
更に、一九八九年一一月の国連総会で採択され、わが国も平成六年に一五八番目に批准国となった児童の権利条約(子どもの権利条約)二条一項は、「締約国は、その管轄内にある子ども一人一人に対して、その子ども、親または法定保護者の人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的、民俗的もしくは社会的出身、財産、障害、出生またはその他の地位にかかわらず、あらゆる種類の差別なしに、この条約に掲げる権利を尊重し、かつ確保する。」と規定している。この条約はアメリカ以外の主要国の全てが批准している(もっとも、アメリカは批准はしていないが、賛成の署名はしている)。
従って、国際的には、非嫡出子の平等を実現、あるいは実現しようとしているのが趨勢である。
わが国でも東京高裁平成六年一一月三〇日判決、同平成五年六月二三日決定などの下級審判例がある他、学説でも、もはや非嫡出子の平等を主張する説が優勢である。特に重婚状態でない準婚状態にある夫婦の子に、嫡出子と同様の相続権を認めるということについては、もはや異論はあるまい。
説得力のある少数意見にもかかわらず、前記最高裁決定の多数意見は、民法九〇〇条四号但書前段を有効としたが、その多数意見の中でさえ、千種秀夫、河合伸一両裁判官の次の補足意見があることは重要である。
「一般にある法律の規定について、制定当時においては合理的理由があったが、その後の時の経過とともに対象とする事柄をめぐる諸事情が変化し、その合理性が疑問とされる事態の生じることは、あり得るところである。」
「本件においてもその理由は異ならないのであって、本件規定も制定以来半世紀を経る間、非嫡出子をめぐる諸事情に変容が生じ、子の権利をより重視する観点からその合理性を疑問とする立場の生じていることは、理解し得るところである。」
「ある法規の合理性が著しく失われて、憲法一四条一項に照らし、到底容認できない段階に達しているときは、もはや立法を待つことはできず、裁判所が違憲を宣言することによって直ちにその適用を排除しなければならない。しかし、本件規定については、現在まだその段階に達しているとは考えられない。」
しかし、現行憲法制定後、既に五〇有余年を経過し、諸外国の立法例では、非嫡出子の平等を実現しているものが大勢となり、わが国で児童(子ども)の権利条約の批准がなされた今、何故に「まだその段階に達して」いない、といえようか。
児童(子ども)の権利条約は、急速に市民の間に浸透し、地方自治体もそれに応じた具体的な動きをしている。
例えば、川崎市において、同市長は平成一〇年九月に「仮称、子ども権利条例(案)」の作定を委員会に委嘱したが、既に教育委員会では子どもの権利条約紹介パンフレットの作成配布や「全市子ども人権集会」の開催や、「人権尊重教育推進会議の設置」などが実施されている。
兵庫県川西市においても、平成一〇年一二月「子どもの人権オンブズパーソン条例」が制定された。
平成六年の民法改正要綱試案では、相続分の非嫡出子差別の廃止が提唱され、平成八年二月の改正案要綱に盛り込まれた。
既に時代は確実に変わったのである。もはや、家制度の維持を目的とした非嫡出子の差別は一時たりともその存在が許されない。現在では、そのような差別を許さないという市民感情が定着したと断言しうる状況にある。法の改正が予定されているから、改正までは差別を容認せよという考えは、裁判所が国民の権利擁護の砦たる役割を放棄することにつながる。
裁判所が市民感情に背を向け、旧態依然たる家制度の維持に固執するならば、司法に対する国民の期待を裏切り、国民の司法への信頼を失わせることは避けられない。
6 <省略>